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旅の記録

Copenhagen ①

今回は、デンマーク滞在中のイースターの休暇に訪れたコペンハーゲンの旅について書こうと思う。

 

4月17日、学校前のバス停から午後6時くらいにコペンハーゲンに向けて、出発した。

padborgという駅から列車に乗り、kolding, nyborg, roskildeで乗り換え、途中でバスにも乗ったりしながら、23:30くらいにコペンハーゲンに着いた。

コペンハーゲンに来るのは、デンマークに到着した日以来だった。

 

中央駅の大きなデジタル時計が記憶に残っている。

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コペンハーゲン中央駅までは、友達のおじさんが車で迎えにきてくれた。コペンハーゲンでは、おじさんのお家の地下の部屋に泊まらせてもらった。大きなゴールデンレトリバーがいて、尻尾をブンブン振りながらお腹を出していた。可愛かった。

 

次の日には、友達の案内のもと、コペンハーゲン大学植物園に訪れた。ちょうど桜の綺麗な春で、街中に、鮮やかなピンク色の桜がポンポンと咲いていた。

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その後はThe Kings Gardenという公園に行き、芝生の上でピザを食べ、本を読みながら寝っ転がって過ごした。眩しい太陽光をしっかりと浴び、暖かくて、穏やかで、最高に気持ちよかった。

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そして、Christianiaへ。Christianiaはコペンハーゲンの中心に位置するヒッピーコミュニティ。独自のルールで社会が回っていて、国旗や国家も持っている。でも、デンマーク政府にはきちんと税金を払っていて、社会福祉も受けている。

 

Christianiaのルールは、暴力禁止・ハードドラッグ禁止・自動車通行禁止・犬を鎖に繋いではいけない などなど...。これらを守れば、あとは自由に好きなままに生きようというような場所。

 

エリアは塀に囲まれていて、落書きだらけ。入り口にはギターを弾きながら、来る人を迎え入れるおじさんがいた。エリア内には、家々があり、湖があり、木々に囲まれていて、ピクニックをする人たちも多くいた。しかし大麻の匂いもすごく、倒れている人がいたりと、とにかく見たことのない景色に圧倒された。

身体全体を揺らしながら思いっきりドラムを叩いているおじさんと、それを見ながら思いっきりノッているおじいちゃんが印象的だった。

 

衝撃的な光景を、目に焼き付けるのに必死で、Christianiaの写真は1枚も撮っていない。

 

続く...

 

 

 

 

 

 

Athens ③

アテネ3日目は、曇天で、凍えるような寒さだった。顔に冷たい風を感じながら、眉をひそめていた。

 

Agoraと、Areopagusに足を運んだ。

Agoraは、ソクラテスのような哲学者や、市民たちが話し合う場所だった。もちろんゴシップなどもよく起こっていたとのこと。人々はどの時代も同じだ。

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寒すぎるのでマフラーを巻き、そのあとは国会へ向かった。国会議員の方が、ギリシャの国会について熱弁してくれた。ギリシャ語なまりの英語は、驚くほど聞き取るのが難しかった。元々風邪をひいていたけれど、寒さで悪化したようで、アテネの国会の中で寒気がしてきた。あ、これは熱かもしれない。と思った。

 

その後のフリータイムで皆が街に向かう中、友達とホテルに帰って早く眠ることにした。道中に買った、ギュロスがとても美味しかったので、ギリシャに行く人にはぜひ食べてほしい。

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ギュロスは、グリルした豚肉を削ぎ落としたもの、フライドポテト、トマトやレタスなどがピタパンに包まれているようなB級グルメで、少し酸味のあるヨーグルトソースがまた美味しい。

 

シャワーを浴びて、6時すぎに眠り、14時間もぐっすり寝たら、翌朝には元気になった。

 

4日目はByzantiske museumへ。

キリスト教の歴史のある作品や、宗教画などが展示されていた。美術館の外にはオレンジの木があり、白壁に緑とオレンジが映えていた。

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夜は皆で夜景が綺麗なレストランに行った。どの料理も量が多く、シーザーサラダを頼んだけれど、それでも食べきれなかった。基本的にアテネのレストラン、大満足の量で出してくれる。その後はBeer timeというbarへ行って、サングリアを飲んだ。

https://instagram.com/beertime.athens?utm_medium=copy_link

 

 

現在と古代が混在した街に、私は異様なほどに惹きつけられた。街中の落書きも、ストリートミュージシャンも、猫も、ゴミの落ちた道も、全て好きだった。

また行くよ、アテネ

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コペンハーゲンの空港に着き、バスで学校へ帰る途中、車窓から見えた日の入りが美しかった。デンマークには山がないから、遠くまで見渡せる。心がすっとするような景色だったのを覚えている。

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Athens ②

 

 

ずっと、アテネの街から眺めていた、アクロポリスパルテノン神殿へ向かった。

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丘へ向かう道はうねうねと細く、壁には落書き。猫もたくさん見かけた。

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着いた。ここから先は、チケットを買って入る。

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パルテノン神殿や、円形劇場を眺めながら、ここにいた古代の人々のことを考えた。

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クリーム色のアクロポリスは、緑の木々や草に囲まれ、そこにあるべきものとして馴染んでいた。

ふと足元を見れば、石の隙間から植物が生え、小さな花を咲かせていた。植物の生命力を感じながら、いつか人がいなくなった地球もこうなるんだろうと、なぜか未来のことも考えた。

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お昼は、丘を少し降ったあたりにあるレストランで、ムサカを食べた。ラザニアに似ているけれど、パスタの代わりにナスやじゃがいもを重ねた料理。ミートソースとチーズもたっぷり。ニンマリしてしまうほど美味しかった。

 

そのあとはアクロポリス博物館に訪れた。

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ミュージアムカフェで、エスプレッソのような小さなカップに入った、ギリシャコーヒーを飲んだ。最後の方が泥みたいでウェッとなった。調べてみたら上澄みだけ飲むのが正しいとのこと。カフェでボーッとして、太陽が傾きはじめた空を眺めながら、2週間くらい滞在したい街だね。と、友達のサナと話した。

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夜は、明かりがポンポンと浮かぶ街に出かけ、ビールを飲んだ。

 

最後に、街で見かけたかっこいいミュージシャンで締めくくろう。

https://youtu.be/m_zBZwkf_3E

 

続く...

 

 

 

 

 

 

Athens ①

2019年2月、ギリシャアテネに訪れた。

コペンハーゲン空港から約3時間半くらいでアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港(名前長い)に到着した。

1月の後半くらいから、わたしは謎の風邪をひいていて、1ヶ月くらいずっと咳き込んでいた。体調が優れないので、フライトで初めて耳が痛くなり、到着後もしばらく耳が聞こえず焦ったのを覚えている。

 

身体の気怠さも吹き飛ぶくらい、外に出るとアテネは快晴で、爽やかな風が吹いていた。ホテルまでは電車で向かった。電車はデンマークでは感じたことのないくらいに混んでいて、日本の満員電車を思い出させた。

ちょっとした標識やマークに現れるギリシャ語が記号みたいに見えて、一気に異国にいる気分になった。

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電車から外を見ると、乾燥した小さな山々が連なっていた。山が一切ないデンマークで過ごしてきた子の、”人生で初めて山を見た”という一言が忘れられない。

 

ホテルに着き、友人たちと街中を歩いて、ギリシャ料理のレストランに向かった。フライト疲れでお腹が空いていたので、みんなでかなりの量を注文した。デンマークに比べると、物価は安かった。

わたしはケバブと、大きなフェタチーズがドーンと乗ったサラダを食べた。テラス席で風に当たりながら食べるギリシャ料理は美味しくて、思い出すだけで幸せになる。

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寒いと言って、友達は、近くの露店で大きなブランケットを買ってきた。青地に赤チェックの、大きなブランケットにくるまりながら料理を食べる友の写真はわたしのお気に入り。(載せないけどね)

 

雑踏の隙間から見える夕暮れの空はピンク色だった。

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夜になると小高い丘にアクロポリスが光っているのが見えた。すぐそこにアクロポリスが見えていることが、なんだか信じられなかった。

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続く...

 

Berlin ③

 

いつもの通り、はじめてのベルリンではとにかく好奇心に素直に従って歩いた。

ベルリンに訪れたときには、ちょうどフィルムカメラと編み物に没頭している時期だった。

 

初めて買ったフィルムカメラは、デンマークの学校から近いドイツのフレンスブルクの骨董屋さんで買った。voigtlanderのものだった。使っているうちに、フィルムが切れなくなってしまい、ベルリンでは、自由な時間にカメラを探して歩いた。加えて、凍えるような寒い冬にも耐えられるような、マフラーを作るための毛糸を求めていた。

 

みんなと離れて1人で電車に乗り、目当てのカメラ屋さんや、毛糸屋さんに向かった。

大きくて優しい目をしたラブラドールレトリーバーを連れたホームレスのおじさん、ビールの瓶を何本も抱えながら嬉しそうにしているヘベレケの人など、いろんな人を見かけた。

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ベルリンの地下鉄は、駅ごとに色やデザインが少しずつ異なっていて、可愛らしい。


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デンマークやよく行っていたドイツの最北のフレンスブルクに比べて、街からは多文化が感じられた。ケバブ屋さんやアラビアンなお店が立ち並ぶエリアや、あらゆる建物にレインボーの旗が掛かっているエリアなどもあった。ドイツが昔から移民を多く受け入れているからであろう。生き生きとした多文化共生の雰囲気が、私は好きだった。

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様々な色の毛糸がずらりと並んだ毛糸屋さんでは、棒針といくつかの毛糸を購入した。こんなのが作りたいんだというと、お店のおばちゃんが丁寧に説明してくれた。

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いくつかのカメラ屋をまわってみたものの、予算に合うものがなく、カメラは購入しなかった。(このあと学校のカメラの先生にフィルムカメラを貸してもらうことになり、ラッキー)

 

 

こちらは街中の倉庫で開かれていた夜の市場。

お酒や食べ物を売るキッチンカーが沢山並んでいた。仕事休みの前の日の夜にこんなところに行ってビールが飲めたらいいなあ。

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最後にベルリンで行ってよかったカフェと、どうしてもラーメンが食べたくなった人におすすめのお店を紹介して終わりにしようと思う。

The Visit Coffee Roastery 

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https://visit-coffee.com

 

Cocolo Ramen X-Berg

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このラーメン屋さん、行列のできる人気店だった。久々に食べたラーメンと、レモンソーダに感動して、これこれ!!!ってなったのを覚えている。

 

 

それではベルリンの旅録はこのへんで。

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Berlin ②

3日目には、テロのトポグラフィーに行った。1933年から1945年まで、ナチス恐怖政治の中心地だった場所である。

現在は、ナチスの恐怖の支配を伝える情報センターになっていて、無料で展示を見ることができる。

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ここに残されているベルリンの壁は、激しくハンマーで叩いたような痕があり、ゲシュタポの地下牢もそのまま残されていた。ここで、ナチスの様々な計画が立てられていたという。

 

 

こちらはチェックポイント・チャーリー。

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1961年から1990年の間、検問所だった場所で、ここの南側が西ドイツ、北側が東ドイツであった。ファストフード店などが立ち並ぶ街中に急に現れるので、なんとなく通り過ぎてしまうかもしれないけれど、冷戦時代の歴史を忘れないための場所の1つである。

大きな写真に写っているのはアメリカの兵士で、反対側にはソビエトの兵士が写っている。

 

最終日に訪れたのは、ホーエンシェーンハウゼンの国家保安省の刑務所跡(通称シュタージ)。周りは鉄線と高い塀に囲まれていて、異様な雰囲気だった。

なんだかおしゃれなコートを着たお兄さんの説明を受けながら、中を見てまわった。地下にたくさんある部屋は、狭く、窓もなく暗かった。加えて病院のような匂いがした。

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もともとはナチス管轄下の調理場だったこの施設は、その後ソ連の特殊収容所として使われるようになった。ナチス協力者や、スパイとみなされた者、西ドイツへ逃げようとした人々などが収容され、劣悪な環境の中、亡くなった方もたくさんいたという。

 

 

下の写真は、ホロコースト記念碑(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)。

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高さ様々の石碑が、ポツダム広場近くの、かなり広いエリアに佇んでいる。石碑と石碑の間を歩くと、灰色の塀に囲まれて街から離れた異世界にいる気分になった。建設当時にはいろいろと問題もあったよう。過去を忘れない場所として、ペーター・アイゼンマンによって設計された。

 

街中に残された過去を目にしながら、私が存在する少し前の世界を思い浮かべた。きっとこの先も、ベルリンは過去を叫び続けるのだろう。

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ベルリンへ訪れた人におすすめの映画

『僕たちは希望という名の列車に乗った』

https://www.google.co.jp/amp/s/eiga.com/amp/movie/89977/

 

続く…

 

 

 

 

Berlin ①

時間が前後するけれど、2018年の10月にベルリンへ行った。ベルリンへはデンマークの学校から、約6時間くらいかけて、バスで向かった。

 

道中、窓からの景色はほぼ変わらず、どこまでも続く平野の中に、木々がたまに姿を現すような感じ。山のない景色が日本と違うなあと思いながら眺めた。

 

午後3時くらいにベルリンに着き、近くのアジアン料理屋さんであまり美味しくない夜ご飯を食べた。

ドイツの秋と言えば、オクトーバーフェスト。駅の近くの広場には、可愛らしい売店が立ち並んでいた。

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寒すぎたので、ビールではなく、クリスマスにも飲むGlühwein(グリューワイン)というスパイスの入ったホットワインを飲んで、ポカポカになった。

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次の日は、ベルリンの壁と、その近くにある地下鉄の廃駅へ訪れた。

ベルリンの壁にはたくさんの言葉や絵が書かれていた。

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”we have never had to put a wall up to keep our people in"

 

 

Nordbahnhof(ノルトバーンホフ駅)

この地下鉄の廃駅は通称幽霊駅とも呼ばれている。ドイツが東西に分かれていた時代、西ベルリンと東ベルリンをつなぐ地下鉄が通っていて、東ベルリンに位置していたため、停車せずに通り過ぎていた駅である。当時はこの駅を使って東から西へ逃げようとする人々がたくさんいたという。

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Bahnhof Poisdamer platz(ポツダム広場駅)

ポツダム広場は、かつてベルリンの中心地だったそう。第二次世界大戦で徹底的に破壊されてしまい、その後の冷戦時代は、ベルリンの壁で分断されていた。ここにあったSバーン(都市高速鉄道)の駅も、そのころは幽霊駅だったという。

今は再開発されて、現代的な駅になっている。

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ベルリンの壁の一部がまだ残されて展示されていた。

 

 

ベルリンでは暗い過去の面影を目にしながら旅をすることになる。

続く...