3日目には、テロのトポグラフィーに行った。1933年から1945年まで、ナチス恐怖政治の中心地だった場所である。
現在は、ナチスの恐怖の支配を伝える情報センターになっていて、無料で展示を見ることができる。
ここに残されているベルリンの壁は、激しくハンマーで叩いたような痕があり、ゲシュタポの地下牢もそのまま残されていた。ここで、ナチスの様々な計画が立てられていたという。
こちらはチェックポイント・チャーリー。
1961年から1990年の間、検問所だった場所で、ここの南側が西ドイツ、北側が東ドイツであった。ファストフード店などが立ち並ぶ街中に急に現れるので、なんとなく通り過ぎてしまうかもしれないけれど、冷戦時代の歴史を忘れないための場所の1つである。
大きな写真に写っているのはアメリカの兵士で、反対側にはソビエトの兵士が写っている。
最終日に訪れたのは、ホーエンシェーンハウゼンの国家保安省の刑務所跡(通称シュタージ)。周りは鉄線と高い塀に囲まれていて、異様な雰囲気だった。
なんだかおしゃれなコートを着たお兄さんの説明を受けながら、中を見てまわった。地下にたくさんある部屋は、狭く、窓もなく暗かった。加えて病院のような匂いがした。
もともとはナチス管轄下の調理場だったこの施設は、その後ソ連の特殊収容所として使われるようになった。ナチス協力者や、スパイとみなされた者、西ドイツへ逃げようとした人々などが収容され、劣悪な環境の中、亡くなった方もたくさんいたという。
下の写真は、ホロコースト記念碑(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)。
高さ様々の石碑が、ポツダム広場近くの、かなり広いエリアに佇んでいる。石碑と石碑の間を歩くと、灰色の塀に囲まれて街から離れた異世界にいる気分になった。建設当時にはいろいろと問題もあったよう。過去を忘れない場所として、ペーター・アイゼンマンによって設計された。
街中に残された過去を目にしながら、私が存在する少し前の世界を思い浮かべた。きっとこの先も、ベルリンは過去を叫び続けるのだろう。
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『僕たちは希望という名の列車に乗った』
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続く…